2014/11/09  エスペラント中四国大会  講演「10数年の海外活動における言語問題」
 
言語をめぐる冒険 10数年の海外活動における言語問題
 
講演者島本護(しまもと まもる)
1950年、徳島市出身。 現住所:徳島県三好市池田町(阿波池田)
現在、善通寺看護学校など非常勤講師(「生命倫理」ほか)
 
徳島市の高校を卒業後、上京。アジア文化会館・蒼生寮(そうせいりょう)にて、ベトナム人留学生5名と日本人5名の共同生活。留学生からベトナム語を学ぶ。以後、アジア各地への放浪と定住を繰り返し、2年間現地でタイ語を学ぶ。1970年代後半から沖縄に3年間暮らし、『琉球方言 与那国語ノート(辞書&音声テープ)』(1982)を作成。
(与那国語は、2014年ユネスコが「言語」として認定)。
 
1989-1996 シンハラ語研修(4ヶ月)受講後、スリランカ建設省に配属し、ODA&NGOボランティアとして都市スラム開発の現場で活動。住民団体育成を担当。
 
2001-2003 パプア・ニューギニア社会福祉省NGO女性課にてJICA専門家(貧困緩和対策)。都市スラムで活動。2年間、メラネシア・ピジン語(ピジン英語)を学ぶ。
 
2004-2006 スワヒリ語研修(6ヶ月)後、ケニア国立ケリチョー病院にてJICA専門家(コミュニティ・ヘルス)。『ケニア西部医療サービス向上』プロジェクトに従事。
 
2009-2011 ラオス国立大学で教員(「地域開発論」ほか担当)。2年間、ラオス語を学ぶ。
 
 
本日(11月9日)のお話
(はじめに)幕末・明治期に徳島県など全国でおきたハングル文字学習運動。
      (べトナムは漢字廃止、韓国・朝鮮は漢字使用制限。カタカナ主義運動とも比較。)
 
体験した3つの地域共通語について:
 
インドネシア語は、ヨーロッパより広い地域で話され、話者2億5千万人以上。マレーシア語とインドネシア語が分かれたのは、20世紀後半。
 
メラネシア・ピジン語が生まれたのは20世紀。現在の話者は約1千万人。パプア・ニューギニア、ソロモン諸島、バヌアツなど、ヨーロッパに相当する広い地域で2000の民族語話者に使用されている広域共通語。
 
スワヒリ語は、東アフリカ、中近東で12カ国以上、1億人以上に使用され、さらに広がりつつある言語。スワヒリ語研究を支援した天理教。
(エスペラントと大本教の関係との比較)
 
平和学と言語問題  体験から伝えたいこと
 
多言語社会が争いを生むのではなく、紛争は言語の社会的取り扱いの結果として発生する。マレーシア、シンガポールなどの複合・多民族・多言語社会では、新たに建設される住宅地や団地では、『言語混住コミュニティ』方式を意図的に導入している。ザメンホフが暮らしたポーランドの町は、言語別に居住(別住)したコミュニティだった。
 
言語別住コミュニティか言語混住コミュニティか。
コミュニティの平和と紛争は、言語の社会的取り扱いから。
国際社会では常識だが、日本ではまだ、充分に理解されていない。
 
 
 
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